【第53話:日本編①】最終感謝

※2005年2月~3月時点の内容です、現在は状況が違うかもしれません。

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前回は最後の最後まで荷物をなくしたかもというトラブルに見舞われつつ、どうにかアメリカを出国したお話。
今回は、ついに日本に戻ってきました。
日本基本情報。
時差・・・0時間
通過・・・円
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さて、アメリカのシアトルを飛び立ち、ようやく日本に帰国。

約2ヵ月振りの日本の空気は、やっぱり日本て良いなと思わせてくれました。

それでは、手荷物受取所で荷物を受け取って、両親が迎えに来てくれているようなので、さっさと合流して帰るか。

・・

・・・

私「えっと、私の荷物出てこないんですが?」

私「え、ココ日本だよね」

私「アルゼンチンの片田舎の空港じゃないですよね?」

私「は、はぁ~ん、さては私を驚かせようと、違うレーンに荷物置いちゃったとかか」

私「長旅帰りの私はこんなもんでは慌かぬ、少し待ってれば出てくるでしょ」

・・

・・・

私「待てど暮らせど、全然出てこないんだが?」

と、ここでようやく空港職員に声掛けし、荷物が出てこないことを伝えると、すぐに調べますと大慌てでどっかに去っていきました。

数十分後、さきほどの空港職員さんが戻ってきて、どうやら違う場所に荷物を送ってしまっているとのこと。

明後日に、また使う必要があることを伝え、現状どこにあるかが分かっていないので、明日中に自宅に届けられない場合には、連絡するとのこと。

という訳で、一旦空港を出て家に帰ることに。

出国ゲートを通り過ぎると、そこには両親の姿。

私「お~い、ただいま~」

親「(無反応)」

私「お~いってば、帰ってきたよ~」

親「(無反応)」

私「(なんだ?全然気づかないな)」

両親のすぐ近くまで行き、

私「ただいまってば」

と言うと、驚く両親

母「おぉ、え!随分と日焼けして、たくましくなって帰ってきたから全然分からなかった、大きな荷物も持ってないし」

いやいや、気づかないは言い過ぎにせよ、たしかに全体的に埃っぽいというか、小汚いというか。そんな身なりにはなったかもしれないけども。

私「あぁ、荷物はなんか、違うところに行っちゃったみたいで、明日までに戻ってこなさそうなら連絡来るってさ」

母「あぁ、そうなの。いずれにせよ、お腹すいたでしょ。何か食べたいものある。お寿司ならエスカレーターあがったところに回転ずしがあったわよ」

私「寿司、食べたい(よだれジュルリ)」

そして回転ずしに行き、この旅の概要を簡単に報告。

母「まぁ、なんにせよ無事に帰ってきてくれてよかったわよ。アンタ全然連絡も寄こさないし。私なんか心配過ぎて円形脱毛症になっちゃうし、お父さんとも喧嘩しちゃうしで大変だったんだから」

父「本当に、母さんがお前のこと心配過ぎて、もう行ったものは仕方ないから、放っておけって言っても、母さん怒って喧嘩になっちゃって大変だったよ」

私「はいはい、分かった分かった。無事に帰ってきたから良いでしょ」

親「そういうことじゃないだろ(でしょ)!」

私「はい、すいません」

その後は、父親が運転する車の中でもうつらうつらしながら、無事家に帰宅。

どっか行っちゃった荷物も、翌日の昼頃無事に家に届けられました。

そして、今回の旅の前に貯めていた貯金はそこをつくどころか、マイナスとなり、これから両親への返済生活に突入することに。

でも、お金に変えられない貴重な体験をできたので、後悔はない。

最終的に送り出してくれた両親、現地で知り合った心優しい皆様、私を成長させてくれた様々なトラブル、すべてに感謝感謝のスペシャルジャーニーでした。

皆さん、ありがとうございました。

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とりあえず、旅行記としてはここでおしまいです。

後ほど、色々見返して補足修正するかもしれませんが、大きな変更はないと思います。

これからは、編集後記として帰国後に人に聞かれたこととか、諸々いくつか書いて終わる予定です。

では、また。